自分を大切にするの意味がわからないという人に伝えたい1つのカタチ

自分を大切にすること、自分を愛すること、それがあなたには必要なんて誰かに言われたことある人いませんか?私も実はそんなアドバイスを受けたことがある1人です。でも、その時に正直に思ったこと、それは・・・はぁ?何それ?どういう意味?全然わかんない!でした。今日はそんなことについて書いてみたいと思います。
いつもあなたに寄り添うカラダが送ってくれるメッセージに気づき、認め、育てて行く、そんな新しい自分の生き方を提案する”neo Body positive”が想いを込めて伝えるブログ。第7回目です。

共通項は「満たされていない」という思い

「自分を大切にする」という言葉をGoogleの検索ボックスに入れてみたらビックリしました!信じられないくらいの数の記事がヒットします。しかも、その言葉で上位表示されるのは殆どが、自分を大切にするってどういうこと?という記事ばかり。やっぱりそう思うのは自分だけじゃないんだという変な安堵感(笑)

しかし、これに関してこんなにたくさんの記事が上がってるという現実は興味深いです。結論的には、自分を大切にしている人は少ないのかもしれません。私はカウンセラーでもセラピストでもないですが、私のカラダを整えるセッションを受けに来る人の多くはやはり自分を大切にしていると胸を張って言える人は少ないように思います。

そういう人たちのひとつの大きな共通点は、「満たされていない」ということ。それは仕事、恋愛、経済、健康、能力などあらゆる面で人それぞれ、満たされていないと感じる場は違います。そして、満たされていないのだから、人の心理としてはそこを埋めにかかりますよね?毎日それを満たすために一生懸命に頑張るんです、みんな。だけど、いつまで経っても満たされない。なぜか?そこにまず大きく立ちはだかるのが社会という巨大な壁です。

道徳的であることが刷り込まれた人間

人間は社会的な生き物である。これは揺るぎのない事実です。人間はどうしたって1人では生きてはいけません。そもそも生まれてきたばかりの赤ちゃんの時代、人間は極めて未熟な状態で生まれるため、どうしたって親の世話がなければ生きることが出来ない、それが人間です。だから、生きて行くためには親に面倒を見てもらわなければならない訳です。

私たちが一番最初に接する社会、それは家庭だと思います。その中で心地よく生きて行くためには、絶対的支配者である親に可愛がってもらわなければ生死にかかわるので、その社会(ここでは家庭)の中でのルールに従って生きる術を見つけていきます。赤ん坊の時ならまだ許されても、少し成長すると泣き叫んだり、わがままを言ってばかりいると怒られたりするようになり、次第に自分の欲求は何かで覆い隠し、周りに合わせることを選択するようになります。

そうやってもう物心つくかつかないかの時期にはすでに今の自分の原型が出来上がっています。やがて外の社会に出るとより自分に我慢を強いて、周りに合わせることを求められます。聞くところによると今の小学校では違う名称になっているようですが、昭和の時代に育った私のような世代の人たちには道徳という名の授業がありました。いま思えば、こんな学校教育にも原因の一端がありますが、道徳という名の同調圧力により個性や才能を開花させる機会を逸した人も多いのかもしれません。

表向きはいわゆる”よい子”に育っても、大人になるにつれ、自分の意見も自分が何をやりたいのかもわからなくなってしまうことになりかねません。実際、私のセッションを受けに来る人の中には、自分がやりたいことは何か?そんな自問自答をし続けてきた人はたくさんいます。

そして、ある程度は考えるのですが、多くの人はやがてそれを考えることすら辞めてしまいます。そもそも満たされていないから、もっともっとと頑張っているのに、自分を押し殺し、やがて自分が何をしたいのかわからなくなり、最終的にはそれを考えることすら辞めてしまったら可哀想じゃないですか?自分が。

誰かと自分を比べる人間の性質

そして、もうひとつの大きなポイントは、他人と自分を常に比べるという人間の性質。人はそれぞれみんな違って当たり前なのに、人と違うことを”変わってる”と言われ、異質な人扱いしがちなのは日本の社会の未だに根強いところ。だから、益々自分の本質的な欲求にはフタをするようになります。

しかし、そうではなく自分のやりたいことをドンドン成し遂げて行くような人ももちろん存在して、周りにそういう人、正確にはよく知らないのにどうしてかそう見える人がいたりすると、自分はそういう人と比べて劣っていると感じたりする人もいます。よく言われるSNSから離れていく人もその一種かと思います。隣の芝生はいつでも青く見えるんです。でも、頭でそう理解していても、どうしても誰かと比べて勝手に落ち込む人がいるのも現実です。

遅かれ早かれ、人間はいずれ自分の気にくわないところを見つけます。でも、それに気づいた時、それをどうしたいのかを決めることが出来ます。それを跡形もなく消してしまいたいのか、他のものに変えたいのか、それとも有効に利用したいのか。それは自分で決められるのです。

その時の選択として大いに役立つのはもちろん、何か他のものに変えるか、それを有効に利用するという方法。そうやって行けば本来の自分が望んでいたところに戻って行けると思うのですが、ここで出て来るのが、そのやり方がわからないということ。だから、おそらく自分を大切にするってどういうこと?という記事が溢れているのかもしれません。

答えはいつもカラダに聴いてみる

いつも私のセッションに来られる方に言い続けて来たのですが、人間には頭があり、頭は騙されやすい性質であるということを知っておく必要があります。それと対比して、カラダは嘘をつかないということ。それを頼りにする限り決して騙されたりはしないということを知っていて欲しいと思います。でも、多くの人はそれをじっと見つめることも聴くこともしないから、結局は自分自身をよく理解しないことになる。自分のことがほとんど分かっていないから自分自身を尊重しない。そのため簡単に他人の影響を受けてしまうのです。

それでも考えても考えてもまるで自分のことがわからないという人も結構いるのが現実。そんなことないでしょ!と思う人もいるかもしれませんが、私のところには日々そんな人たちが来られるのでいろんなセッションを提供している訳です。そして、考えてもまったく取っ掛りすら掴めない人に提案しているものがあります。それが「チネイザン」というセッション。

これは簡単に言うと、お腹の中の気の流れを整えるというもの。何千年も昔の中国に伝わる伝統的な気功の一種で、陰陽五行思想などもベースにあり、肉体としてのカラダの解放はもちろん、各臓器に対応する感情をも開放する、人の手によるとてもソフトな心地いいセッションです。

今これを受けたくて私のところに来られる方が日々いっぱいなのですが、先日いらっしゃった方からチネイザンを受けた翌日に1通のメッセージをいただきました。その方の変化がまさに、これぞチネイザン!と私が思うひとつのカタチを見せてくれていると感じたので、その一部を是非たくさんの人に知って欲しいと思いここにご紹介させていただきます。

この方は、もう半年以上前から体調を崩されていて、カラダに痛みを含めたいくつかのつらい症状があり、さらに精神面でいろんな不安や恐怖が沸き起こり、立ち直る糸口が見つからず困っていらっしゃったようです。それに対して、チネイザンはそれらの不都合な心身の症状を改善するために行うのではなく、その方のお腹に押し込んできたいろんなものを解放し、整える。やることははそれだけです。そして、それを受けた方のコメントが以下です。

チネイザンを受けたらこうなった

セッションが始まってすぐにいろんなことを感じました。何が起きたのか、言葉では表現しにくいのですが…。 手のひらの真ん中がじんじん熱くなり、肘や腕の方まで! お腹を触ってもらってるのに腰にめっちゃくる!そのうち腰もじんじん熱くなる。 そして何より不思議なことに顔が緩んでくるのを感じてました! 『カラダが喜んでいる』だから自然と顔が緩んで微笑んでる。 『うれしい、うれしい、うれしい』ってカラダが言ってる。 あたまじゃなくて、感情が湧いてくるとかでもなくて、カラダが喜んでる❣️ それを体感しました✨ 終わって鏡を見たら、自分の顔、カラダへの愛しさが溢れてきて、「可愛い」って思った😁 こんな感覚ははじめて。 寝る前、起きた時、欠かさずカラダに「ありがとう」「今日もよろしく」って伝えてきた。 でも、わたしのあたまはわたしのカラダを下に観てた。 『あなた、弱いのによくがんばってるわ』の「ありがとう」 『弱いなりにがんばってね』の「よろしく」 カラダへの尊厳がなかったことに気づいた! 生まれてから休むことなく動き続けてくれているカラダに上っ面のありがとうを言っていたことに気づいた! 自分のカラダを愛しいと感じたあの時のあのわたしをしっかり自分の中に取り戻す!わたしはそう決めました。

あるがまま、なるがままに生きる

如何ですか?自分を大切にするってどういうことなんだろう?そう思っている人たちに、以前は同じようにそれって何?と思っていた私からのひとつの答え、ではなく、ひとつのカタチがこのチネイザンを受けられた方の気づきにあります。

自分1人であれこれ考え、もがいても苦しいところから抜け出せなくなることは多いもの。考えることは必要なのですが、考え過ぎるとおかしな方向に迷い込みます。また、本当に知る必要がないことというのもあります。絶対わかりっこない答えを探して疑問を増やしてしまったり、不必要な問いを発して無意味な答えを出すこともあります。

そんなことをするくらいならアタマで考えるのは一旦やめにして、カラダに聴いてみる方が賢明です。

必要なのは内なる自然を認め「あるがままのもの」と共にやっていくことだと私は思います。

まとめ

ということで、今日は

  • 自分を大切にしていない人の共通項は「満たされていない」ということ
  • 道徳的であることを刷り込まれたが故の可哀想な結末
  • 誰かと自分を比べてもそれをどうするかを決めることが出来る
  • 答えはカラダに聴いてみる
  • チネイザンを受けたらこうなった
  • あるがまま、なるがままに生きる

という内容でお伝えしました。

良くも悪くもまず必要なこと、それは自分を知るということ。どんな人にも役割があります。その役割が何であれ、この世界の主役はあなたです。みんなそれをつい忘れがちなのだと常々感じます。思い通りにのびのびと生きていきましょう。


このブログを読んでいただき、よかった!これからも楽しみにしてるよー!って思ってもらえたらこちらで応援してもらえたらうれしく思います。